赤い花白い花:赤い鳥
2012年11月30日
77.「赤い花白い花」:赤い鳥
少女だった遠藤三恵さん(現中林三恵さん)が曲を作ったのは1960年代初頭 出典
赤い鳥による録音、発売は1970年

神戸の高校の三年のクラスメートで、東京に出たのはわたし一人ではありませんでした。
知っているだけで慶應に行ったMくん、一橋に入ったTくん、そうして東京理科大に通うOくん。
学生運動の最後の嵐が吹き荒れる東京の片隅にOくんのアパートがありました。
狭い部屋でしたが、私のような下宿ではなく、外からいきなり自分の部屋に入ることのできるアパートメント。
ちょっぴりうらやましかったことをおぼえています。
確か二人ともまだ浪人生の時代。
部屋にはギターがあって、初めての訪問の時に弾いてくれたのがこの曲でした。
出だしを歌って、その後の歌詞を推理するというゲームをさせられました(笑)
純朴な彼の性格にはとても似合う曲だと思いました。
コード進行もシンプルなので、下宿に戻った私も弾き語りを試みましたが、
どうしても彼のように清らかな歌声になりません。
自分の屈曲した性格を少しだけ悔やみました。
その後すぐ、「赤い鳥」の圧倒的な歌唱で元歌を知りなおさら、
とうてい私などが唄って良い歌だとは思えなくなり、
封印、というほどの決意ではありませんが、
滅多に歌わない曲になりました。
YouTubeで、赤い鳥の元メンバー山本潤子さんの歌唱がアップされているのをみて嬉しくなり、
この百曲に選ぶことにしましたが、
相変わらず私はこの曲を歌うのが苦手です。

作詞:中林ミエ
作曲:中林ミエ
唄 :赤い鳥
少女だった遠藤三恵さん(現中林三恵さん)が曲を作ったのは1960年代初頭 出典
赤い鳥による録音、発売は1970年
神戸の高校の三年のクラスメートで、東京に出たのはわたし一人ではありませんでした。
知っているだけで慶應に行ったMくん、一橋に入ったTくん、そうして東京理科大に通うOくん。
学生運動の最後の嵐が吹き荒れる東京の片隅にOくんのアパートがありました。
狭い部屋でしたが、私のような下宿ではなく、外からいきなり自分の部屋に入ることのできるアパートメント。
ちょっぴりうらやましかったことをおぼえています。
確か二人ともまだ浪人生の時代。
部屋にはギターがあって、初めての訪問の時に弾いてくれたのがこの曲でした。
出だしを歌って、その後の歌詞を推理するというゲームをさせられました(笑)
純朴な彼の性格にはとても似合う曲だと思いました。
コード進行もシンプルなので、下宿に戻った私も弾き語りを試みましたが、
どうしても彼のように清らかな歌声になりません。
自分の屈曲した性格を少しだけ悔やみました。
その後すぐ、「赤い鳥」の圧倒的な歌唱で元歌を知りなおさら、
とうてい私などが唄って良い歌だとは思えなくなり、
封印、というほどの決意ではありませんが、
滅多に歌わない曲になりました。
YouTubeで、赤い鳥の元メンバー山本潤子さんの歌唱がアップされているのをみて嬉しくなり、
この百曲に選ぶことにしましたが、
相変わらず私はこの曲を歌うのが苦手です。
作詞:中林ミエ
作曲:中林ミエ
唄 :赤い鳥
Posted by gadogadojp at 20:00│Comments(0)
│歌
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